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窓からさしこむ柔らかな光。その光に包まれて、さりげない人々のつつましやかな暮らしの一場面を、淡い光の中に浮かびあがらせた画家、ヨハネス・フェルメール。
絵画黄金時代と呼ばれる17世紀オランダを代表する画家のひとりです。
フェルメールは1632年、オランダはデルフトに生まれました。当時デルフトはアムステルダムにならび、貿易の中心地として栄え、さまざまな産業が盛んで活気にあふれた町。
彼の父親はそこで「空飛ぶキツネ」という名の宿屋と居酒屋、画商も仕事にしていたので、フェルメールは自然に画家の夢を抱くようになりました。おそらく、本人は15歳ごろに画家を目指し修行を始めたと言われています。
20歳の時、父親が他界し家業を継ぎ翌年に結婚、そこから本格的な画家人生がスタートしました。
しかし数年後、第三次英蘭戦争の影響で経済は荒れ、芸術界は大打撃。その被害も画商画家である彼にも及んだ事は言うまでもありません。やがて大量の負債をかかえ首が回らなくなり、43才でその生涯を閉じたのでした。
彼の画業は意外に短く、その作品の数は37点ほどにしかすぎません。しかも死後、急速に忘れ去られてしまいます。ところが……その作品たちは200年後の19世紀になって再び脚光を浴びる事になります。
200年経ち、再評価されるほどの才能とは何だったのでしょうか?これから「忘れ去られた画家」といわれるフェルメールについてご紹介します。
Contents
物語画家
最初に取り組んだ伝統的な“宗教画”
フェルメールは1653年、21歳の時に“聖ルカ組合”に加入し一人前の画家になりました。その彼が目指したのは、宗教画、神話画、歴史画などを発想源とする“物語画”の専門画家。
この時代、優れた画家は、神話や聖書の歴史などの作品制作に携わるべきという、暗黙の制約のような考え方が“イタリアの人文主義”の伝統にあり、オランダにも浸透していたようです。
とはいえ当時、王侯貴族がいなく、聖像(神の絵や彫刻)の崇拝を禁じていた、“プロテスタント”人口の多かったオランダでは、物語画の注文は多くなかったと言います。
《マリアとマルタの家のキリスト》はフェルメールの貴重な現存の物語画。一番大きい絵です。
“カラヴァッジョ様式”(あたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現)を意識したと思われる構図に、
赤、青、黄の三原色に白を貴重としています。
このころから、すでに後のフェルメールの特徴が出てきています。
制昨年が記された最初期の絵《聖プラクセディス》はフィレンツェ画家フェリーチェ・フィケレッリの模写。
神話画《ディアナとニンフたち》は同時期に描かれた《マリアとマルタの家のキリスト》とは、描法が違う事で作者についてしばらく議論された事で知られています。
[su_row] [su_column size=”1/2″] [/su_column] [su_column size=”1/2″] [/su_column] [/su_row]《取り持ち女》は新約聖書ルカ伝で語られている、「放蕩息子」を画題にしたものです。当事、この寓話に感心を持った画家たちは多く、フェルメールもその1人でした。この頃から、“物語画”から“風俗画”に転向するようになります。
一番左のニヤリと笑ってる男性。なんだか妖しいですね…。この人はフェルメールの自画像では?と言われているそうですよ。
風俗画家への転身
フェルメールが向かった、光への希望
成功を夢に画家仲間達が移住していくのを尻目に、フェルメールはデルフトを出る事はありませんでした。
父親の残した借金と母親の事、そして妻カタリーナの家族との緊密な関係だったためだと言われています。また、地元では物語画家の需要はとうてい望めないということで、1656年頃、庶民の普段の日常生活を描いた、“風俗画”への転身を決めます。
これは、風俗画家転身の第一作。《眠る女》とても有名な絵です。
開かれた窓、差し込まれる柔らかい光。《窓辺で手紙を読む女》は前作《取り持ち女》《眠る女》からは、一転した、後の彼の作品の特徴ともいえる、個室の光と女性が一人という、フェルメール定番の構図です。まさに劇的な進歩であると言われています。
カーテンが、より奥行きを感じさせ、遠近感がなんだか覗き見しているような感覚になります。また手前のテーブルの皿が傾いていて、果物がこぼれているのは、この女性の手紙の内容を暗示させているようにも見えますね。
[su_row] [su_column size=”1/2″] [/su_column] [su_column size=”1/2″] [/su_column] [/su_row]《兵士と笑う娘》はよく見みると上の《窓辺で手紙を読む女》の女性の衣装と同じではないですか?同一人物なのでしょうか?楽しそうにお話ししています。
代表作の一つ《牛乳を注ぐ女》。
深い色合いと光あふれる、小部屋の女性。青と白と黄色が際立たせ、遠近法を用いた構図能力は見るものの目を引きつけます。宗教画からスタートした彼が、オランダで流行していた風俗画に転身し、確立したスタイルといえる作品です。
幾度かの競売にかけられましたが、その度に絶賛されたという、フェルメール秀作の一つです。
透視法的に正確に構成された空間を、いかに人の「住まう空間」にするか。1660年前後の彼の課題であったようです。
[su_row] [su_column size=”1/2″] [/su_column] [su_column size=”1/2″] [/su_column] [/su_row]
オランダの真珠、デルフト
フェルメールの残した、数少ない風景画。
17世紀の初め、世界にさきがけて共和国を実現させたオランダ。貿易や産業の繁栄によって裕福になった市民の中では風俗画が流行していきます。風俗画と同様に、風景画も多く描かれるようになりました。
オランダの真珠と言われたデルフトの町を描いた《デルフトの展望》。20世紀に入り、小説家マルセル・プルーストが「世界で最も美しい絵」と賞賛した作品です。
フェルメールの風俗画の作品性は、いよいよ独創的な世界を確立していきます。次は、若い女性たちにスポットを当てた絵画の数々をご紹介します。
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