tetst1234
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女性像への焦点
日常から切り取った傑作の数々
1660年あたりから、フェルメールは女性を主役とし、生活の1シーンを切り取った絵を描き始めます。淡い光の中、部屋の中を覗き見したような…そんな感覚。
きちんとライティングしてドラマチックにカメラで撮影したような効果と、室内の繊細なディテールを見事に表現しています。
ここから、フェルメールの名作が次々に生まれていきました。
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次の《天秤を持つ女》右上に絵がありますね。これは新約聖書“最後の審判”の絵です。“最後の審判”の絵の中央には大天使ミカエルが人の魂を量っているのですが、
その前にたつ女性が、空の天秤で何かを量っています。この意味するものに関してはいろいろな研究者の解釈があり、議論をよんでいる事も特徴の一つです。
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ファーの付いた黄色いドレスはフェルメールの妻が着用していたもので、たびたび登場しているのだとか。この後にもまだ出てきますよ。《天秤を持つ女》の女性も色違いを着ています。
カメラ・オブスキュラ
フェルメールの作品には、カメラの画像に似たところがあり、なんらかの視覚機器を利用したのではないかと19世紀から推測されてきました。カメラ・オプスキュラとはカメラの前身のの事で、この時代は利用していた画家が多くいたそうです。確かに、一枚の写真のようなそんな雰囲気がありますよね。
トローニー
近年最も認知された、傑作。
“トローニー(tronie)”とは、不特定の人物の胸あたりから上を描いた作品のこと。もとは、フランス語“トローン(trogne)”(顔という意味の俗語)から来た言葉。特定の人物を書いた肖像画とは異なり、もともとは歴史画の人物の習作でしたが、風俗画に発展していったのだそうです。
フェルメール作のトローニーは2点。
《真珠の耳飾りの少女》は2003年、トレイシー・シュバリエがこの絵を着想にし、書いた小説を映画化した『真珠の耳飾りの少女』のヒットで、21世紀のフェルメールブームは起こったそうです。若かりし頃のスカーレット・ヨハンソン、なんでもゴールデングローブ賞最優秀主演女優賞にノミネートされたとか。フェルメールファンでまだの方は是非。
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もうお気づきですよね。このサイトのタイトルはここから使わせていただきました。ただし、ここの呼び名は“トローニー”ではなく“トローニ”です。
フェルメールブルー
フェルメールの絵には青色が贅沢に、各所に使われているのがわかります。フェルメールブルーといわれ、特徴的ですね。
この青はウルトラマリンと呼ばれる顔料、ラピスラズリが原料です。
砕いて油を混ぜ練って使っていたそうで、金と同様とても高価だったと聞きます。
17世紀、衰退の道をたどるオランダ
さて、技法、構図によって確立したこの時期はフェルメール黄金期とも言えます。しかし、それは1670年代初期までのこと。
1654年に英蘭戦争は終結したのですが、1665年、再びイギリスが宣戦布告。この第三次英蘭戦争でオランダは国力も弱まり、経済は衰え始め、さらに1672年仏蘭戦争が勃発し、一気にオランダは衰退していきます。国民の暮らしも貧しくなり芸術界も大打撃を受けるのです。
そして1657年から唯一フェルメールを支援していた同じデルフトに住む、ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンという投資家がいましたが、亡くなってしまいます。生活苦でフェルメールは家族と妻カトリーナと共に、裕福なカトリーナの母の家で同居していましたが、戦争の影響で次第に経済的にも影響してきました。
フェルメールにも苦しい現実が待っていたのです…
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